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1931年(昭和6年)、神奈川県に初めて自動車教習所が誕生しました。1カ月の新聞購読料が約90銭、ハガキが1銭5厘の時代です。この年、羽田空港が開港し、エンパイア・ステートビルが完成。当時では世界最長と言われた清水トンネルが開通し関東と新潟が結ばれました。開通後には川端康成が越後湯沢を訪れるようになり、後の「雪国」が執筆され、「国境の長いトンネル」ではじまる小説「雪国」の冒頭が、この完成したばかりの清水トンネルだとされています。

その34年前(明治30年)、横浜に在住していたアメリカ人が蒸気自動車を輸入しました。これが日本に自動車が出現した最初と言われています。その7年後には、実用にはいたらなかったものの日本で初めて自動車の試作(製造)が行われ、技術の進歩と経済成長に伴い、日本の自動車保有台数は、1930年(昭和5年)当時で89,222台(日本自動車工業会統計)だったものが、2006年(平成18年)2月時点では79,351,109台(国土交通省統計、原付除く)までに増加し、日本は著しい自動車社会を迎えた一方、痛ましい交通事故もまた増加しています。こうした中、日本全国の指定自動車教習所は、交通事故の防止や地域の交通安全教育の一助を担う教育機関としても社会的に重要な役割を有しています。

1962年(昭和37年)、高校野球では史上初の春夏連覇を作新学院が達成、「いつでも夢を」や「王将」の歌が流行し、JR(当時の国鉄)の初乗り運賃が10円の当時、世界ではロシア(当時のソビエト連邦)に続きアメリカが有人宇宙飛行に成功しました。この年、神奈川県公安委員会から指定を受け、川崎自動車教習所として当校がスタートしました。2005年(平成17年)に、校名を現在の飛鳥ドライビングカレッジ川崎に名称変更し、長年にわたり運転者教育に従事してきました。この間、2003年(平成15年)には神奈川県で第一号となる大型二種の指定を受け、運転者教育のみにとどまらず、企業研修、自転車教室、シルバードライバー講習等地域の交通安全教育センターとして、地域に積極的に貢献するとともに、住民の方々にも大変喜ばれています。

当校は、1962年スタート以来、これまで数多くの卒業生を送り出してきました。本当にいろいろな方々がいらっしゃいました。ライセンス取得の目的も様々ですし、教習のペースや悩み、不安、不得意な課題も一人ひとり違います。慎重派の方、せっかちな方、マイペースな方、心配性な方、大胆(?)な方、仕事が忙しくてなかなか通えない方、短期集中タイプの方、小さなお子様がいらっしゃる方・・・、私たちは、そんな方々にも安心して確実にライセンス取得していただけるようサポートしてきました。数多くの実績と独自のノウハウをバックボーンに、経験豊かなスタッフが、楽しく、わかりやすく、確実に、あなたを完全サポートします。

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